2004年07月16日

愛の連鎖

世界は愛で動いている。人はあまりそれに気づいていないようだが。

今日も朝から暑い。梅雨は最初からなかったかのように影をひそめ、すっかり真夏である。蝉の鳴き声も頭に響くかと思う程に、辺り一帯に鳴り響いている。蝉の求愛は必要以上に大きな声で鳴いているように思うが、実は何か求愛以外の特別な効果があったりするのかも知れない。自然は実に摩訶不思議だから、人間の測り知れない何かがあるような気がする。

「自然」と聞いてすぐ思い出すのが「食物連鎖」や「弱肉強食」という言葉だ。しかしそのような光景に出会う事は余りない。観察していて思うのは、動物にしろ昆虫にしろ植物にしろ求愛行動や子育てなど、愛情と命の連鎖に関する事が圧倒的に多いという事だ。

明らかに生命循環や愛情表現がメインであるのに「食物連鎖」や「弱肉強食」が注目されるのは、「人間以外は下等生物」という思い込みがあるからかも知れない。人間は考えるが、動物には食う事しか頭にないと思っているのであろう。しかしそれは違うのではないだろうか。

春も夏も秋も冬も、食べ物であれ風景であれ、我々の目を楽しませ舌鼓を打たせてくれるものは、どれもほとんどが求愛の結果である。弱肉強食の結果ではない。

動物は食う為に動くのではなく、命を繋げる為に動いているのだ。命を繋げる為に食べ、子供を産み、犠牲になる事さえある。人間も行なう事は基本的に同じである。動物は下等なのではなく、人間より機能を限定しているだけではないだろうか。むしろ命を自ら潰すのは、圧倒的に人間である。その点については動物以下であると言えよう。

我々はその愛と命の連鎖の結果を、食糧として自然界からいただいている。愛と命の連鎖の結果を季節の風物として楽しんでいる。自然に感謝して足りないという事はない。自然を破壊する行為の何と愚かな事よ。自然界の犠牲から恩恵を受けている我々は、恩を仇で返しているのだから。

戦争などはこれに加えて自らの命や命の連鎖を断ち、怒りの興奮の中へ人々を引き込んでしまう。ほとんど呪いのようであり、愚の骨頂だ。平和主義が現実を見ていないという人がいるが、逆である。現実主義者が人間界以外を見ていないのである。人類よ、いい加減に目を覚ませ。地球環境はもはや危機的な状況だ。もっと自然を観察せよ。我々の大いなる母親、自然界に恩返しをせよ。

Posted by ガスパーチョ at 2004年07月16日 08:11 | トラックバック
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