2004年09月24日

お前らに言われたくない

戦争も自然破壊も根っこは一つ。

朝、京都御苑を散歩していると、パンの耳を撒いて鳥に餌を与えている人がいる。しかしすぐには集まって来ないようで、パンを撒く人が去ってから少し間をおいて鳥達が食べに来る。ちなみに環境省京都御苑管理事務所からは餌付けをしないようにというお願いが出ているので、読者の皆さんは真似しないようにして下さい。

そのパンが撒かれている所に通りがかると、雀を威嚇しながら烏が幾つもパンをほおばっていた。それを見て「自分達ばっかりがほおばらずに、他の鳥達と仲良く食べろよ」と心の中で問いかけてみた。すると心の中の烏の声はこう答えた。「そんな事、お前達に言われたくないね」

人間は自分達の都合だけでどんどん森を「開発」し、自分達だけの「住みやすい環境」を整えて来た。そしてそれは今でもどんどん進んでいる。しかしこれを動物達の目で見るとどうだろうか。動物達は人間による森への「侵略」により辺境へ追いやられ、人間だけが住む「入植地」を開拓した。そこへ一歩でも入り込めば追い出され、ひどい場合には射殺されるのだ。あまりに独善的だ。

蟻などはちょっと机の上のお菓子をつまんだだけで、化学兵器によって巣ごと毒殺されてしまう始末。森の土地や恵みは人間達のものだと言わんばかりの所業に動物が怒りを抱いてもおかしな事ではない。人間の自然に対する態度は非情であり、あまりに高飛車だ。

人間がひどい仕打ちをするのは自然だけに留まらない。何かあればすぐ戦争だとわめき、親が子供を殺し、子供が親を殺し、大人も子供も殺しあう。どれも命に危険が及んでの事ではない。腹が立つから殺すのだ。気に入らない事があれば、人間は相手が誰であれ排除をしようとする。それも自分の原因を棚に上げて。

そんな状態が顕著に表れているのがイスラエル・パレスチナ闘争であろう。これを見ていると、どうも人間の自然に対する仕打ちを連想してしまう。どちらも問題の根本は同じものではないだろうか。アメリカの対テロ戦争も然り。

まず自然に感謝して動植物を丁重に扱い、自然と調和した生活環境を整えられるような状態にならないと、戦争はなくならないのではないだろうか。その為には「気に入らないやつを排除したら問題は解決」というような幻想を抱かぬよう、ひとり一人が自分の心を見つめ直してゆく事が大事なのではないだろうか。

…そんな事を考えながらの散歩だった。

Posted by ガスパーチョ at 2004年09月24日 13:12 | トラックバック
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