2004年10月04日

砂利の訴え

何でもないものが何かを訴える事がある。

砂利もただのものではなく、それぞれに命が籠っているように感じる。砂利の塊のような京都御苑の道であるが、それぞれあらゆる所から運ばれて来て、バラバラと撒かれている。砂利を見ると、それぞれ色々な色・形・大きさで、個性的だ。元々一つの岩だったものもあるのだろうが、その岩も一目見ただけではここまで個性的な部分があるとは気づけないだろう。

そんな砂利達を見ていると、それぞれが自分に語りかけているような気がして来た。それぞれが自分達の住んでいた所のイメージを伝え、懐かしい我が家をどれ程愛していたかを訴えかけて来るように感じた。彼らもまた樹木と同じく人間の都合で移動させられ、破壊されたものたちだ。砂利達は「俺達にも命はあるのだ」と必死に訴えていたのかも知れない。

人間は自然に対して、虐殺や強制移住のような事を平気で行なっている。彼らにも命があり、意識もあり、痛覚も心もあるとするならば、彼らの苦しみはどれほどのものであろうか。今の科学者は物質には命がないと思っているが、生命体も元々は同じものから生まれた。物質と生命との違いなど、ほんの些細なものかも知れない。いや、単なる物質には生命がないというのも幻想なのかも知れない。だとしたら、今の我々の社会は何と無遠慮で罪深いものであろうか。

ものにももっと愛情と敬意を注がなければならないのではないだろうか。

Posted by ガスパーチョ at 2004年10月04日 22:07 | トラックバック
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