2005年01月11日

警察とジェット機

小さなジェット機が飛び回っていた。

今日はとても寒い。歩くだけでも手袋をつけなければ手がかじかんでしまう。そんな中、蛤御門でネズミ捕りが行なわれていた。勿論本物のネズミの事ではない。警察のネズミ捕りである。寒い中を車止めの旗を持ったりしてずっと立っている。こんな日は辛いであろう。

警察といえば、飲酒運転らしき家族の乗った車が警察から逃れる為に暴走し、電車にぶつかって全員死亡したという事件があった。子供があまりに可哀想だ。何の為に飲酒運転を禁止しているのか。もう一度しっかりドライバーの皆さんには考えていただきたい。何の為に規則があるのかを。

こういう事件には「自業自得だ」とか「自己責任」がどうのこうのと言って騒ぐ人間がいないのは何故だろうか。イラクの人質事件ではあれ程騒いだのに。死んだら不問なのだろうか。それとも何らかの左派勢力的臭いを嗅がされると、途端に騒ぐというだけなのか。反戦ビラの次には共産党員のチラシで逮捕者が出た。共産党側の主張が嘘だらけでないならば、東京の警察の動きには違和感を感じる。

散歩をしていると、小さなジェット機が低空で旋回していた。小さなジェット機と言っても自家用小型機の事であって、別に幻覚で虫のような飛行機を見ている訳ではない。どうやら観光か何かでチャーターしたものらしい。何度か旋回して飛び去ったが、消えてからもしばらくは気になって空を探していた。この日記を付けているからなのか、それとも9/11のツインタワー衝突テロ事件が影響しているのか、妙に飛行機が気になった。

9/11の事件の関係者には、このような光景は辛いものであろう。しかしイラクやアフガンで暮らして来た人々、戦争を体験した人々にはもっと壮絶な体験が蘇るであろう。ビルがたった一つ潰れるだけではない。幾つものミサイルや爆弾、ロケット弾、弾丸、砲弾がひっきりなしに降って来て、沢山の仲間、家族、友達を殺されてしまう。家は壊れ、食べ物も手に入らず、治安などない状況だ。

9/11事件に衝撃があるのは、被害者の目線でニュース報道がなされたからだ。戦争報道では、軍の情報統制の影響や現地の危険度の高さで、被害者の視点はごく僅かだ。『爆笑問題のススメ』で大林宣彦氏が語っていたように、ツインタワー衝突はハリウッド映画的だった。アメリカパワーの被害者の怒りをこれでもかと言うくらい代弁し切っていた。だが、戦争の被害者の代弁者はほとんどいない。いても戦争が終わってしばらくしないと現れない場合が多いのではないだろうか。

あの飛行機が、単なる観光客を乗せたものであるという事が、どれだけ幸せな事か。あの爆音が、ミサイルやロケット弾ではない幸福。その幸福を享受する人間もいれば、戦争や内乱で日々人々が死んでいく場所もある。一部の人間に多くの人間が振り回される。多くの人間が殺される中で、それでも限られた時間・空間で生きていく自分。

この世界はこの身に重くのしかかる負担なのか、天国へと代わりうるチャンスなのか、とにかく生きていかなければならない。この人間界と、どのように付き合っていこうか…。

Posted by ガスパーチョ at 2005年01月11日 21:38 | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?