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世の中では当たり前の事でも、考えてみると何だか不思議に感じる事がある。特に一般常識的な事を疑問に持つと、バカ呼ばわりされかねない事もある。でも、ここはアホバカ言いっこなしでお読み下さい。 子供はそこにいるだけで、まわりの大人は「かわいい〜♪」などと言いつつ寄って来たり、馴れ馴れしく寄って来て、頭を撫でようとしたりします。子供が寄って来たら、大抵の人は話しかけたり構ってくれたりします。まあ、ペットと同じ扱いとも言えなくはないが。 一方、大人がいても、誰も見向きもしない。田舎なら、挨拶ぐらいはするかも知れないが、相手から寄って来る事は無い。ましてや都会で話しかけて来るのは、キャッチ・セールスぐらい。「かわいい〜♪」などと声をかけて来る人間はまずいない。頭を撫でる人も新興宗教の人ぐらいである。 果たしてこの違いは何なのか?猫やウサギは、子供でも大人でも「かわいい」と言われるのに、なぜに人間は、幼稚園児は可愛いのに、中年サラリーマンになるととたんに可愛くなくなるのであろうか? 可愛さの基準は何となくわかるのだが、それでも同じものが可愛かったり可愛く無かったりするのは不思議だ。可愛さの基準とは、どうも母性本能(種の保存本能)が影響しているような気がする。女性に特有なわけでも無いが、女性は特に可愛いものを好む。場合によっては、見てもいないものまで「可愛い」と言い出す事もある。言葉を聞くだけで、連想してしまったのであろう。 この事からもわかるように、その人の思考が、「可愛い」の基準に大きく影響している。ならば、世のサラリーマンや海毛虫が可愛いと思う人もいるかも知れない。高枝切り鋏が可愛いと思ったり、点滴袋が可愛いと思うかも知れないが、そんな人がいなかったとしても例え話なので私を責めないでいただきたい。 仮に大人が可愛いと思っていても、実際に行動に出る人はいない。大体理由はわかる。大人は子供扱いをされたくないからだ。その割にキャバレーやホストクラブにいって可愛がられたがるのだが。 考えてみれば、子供だって大人扱いされる事を好むのではないだろうか?大抵の子供は、早く大人になって自由に活動したいと思うはずだ。私も実際、子供の頃は大人扱いしてもらいたかったものだ。その一方で、歳をとるにつれ、なぜか今まで可愛がってくれていた人が、自分に何の関心も示さなくなっていった。これは子供心に少し寂しく、何とも不思議な事であった。年齢によってある程度の接し方の違いはあるだろうが、人はこういう部分では案外変わっていないのかも知れない。私が未だにこんな事を考えているのも、その良い例だろう。 しかし大人は大人ぶる事にかけてはベテランである。大人は強く逞しくなくてはならないと思っている。弱い所を見せるとそこを付け込まれるので、強がらなくてはならないと思っている人もいる。関係ない人物とやたら触れあうと、自分の時間がなくなってしまうと思っていたりもして、その隙にビジネスチャンスを取り逃がしてしまうかも知れないと思ったりもする。 実際の所、大人は怖くて寂しいから強がって大人ぶっているのだ。だからこそ極端な人間は犯罪に走ったり、独裁や戦争をする事で安心したがっているのだ。まわりが危険なのだと彼らは思い込んでいるが、大半の恐怖の原因は、彼らの中の子供心が作り出した幻想だとみていいだろう。 子供はまわりに親がいるからこそ安心して動き回る。しかし親がいなくなると、頼れる者がいないので、とたんに怖くなる。大人にも、そのような心が心の奥底に潜んでいるらしい。夜の便所に行くのが死ぬほど怖いと思うのと同じように、先の見えない人生は、大人にとっても怖い。まわりは見知らぬ他人だらけ。何をされるかわからない。だから大人は防衛的な事をしたり、攻撃される前に攻撃しようとしたりして、混乱を作り出す。それが新たな混乱を作り出す事に気づかずに。 そんな人々に、少しだけ子供に接するように優しく接する事が出来たなら、どうなるだろうか?自分が攻撃されないだろうかと恐れつつ接するより友好的に接するのだから、事態が悪化する確率は確実に減るのではなかろうか。大人は皆、子供の心を持っている。心持ち子供に接するように優しく接するようになれれば、その分世界平和、犯罪の減少に貢献する事になるのではなかろうか? 子供に接するのと同じように、まわりの人間が他人だという考えを脇に置いて、世界に対しての自分が持っている不安も脇に置いて、身の回りの大人に接してはどうだろうか。子供だけでなく、大人も少しだけ、今までより可愛がってあげてみて下さい。
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