2004年04月06日

復活の象徴

桜が大切にされて来たのは、花以外の面にも理由があるからではないだろうか…。

今日は御所の特別拝観期間に入っているので、観光客が多かった。西洋人の割合もかなり高かった。新緑の季節が本格的にやって来た。紅葉の若葉もだんだんと開いて来ている。紅葉の葉っぱは透き通るような黄緑色でとても美しい。だからこの季節の紅葉も私は好きだ。

葉っぱと言えば、桜の若葉は何故だか赤茶色だ。花の散った桜の木は、まるで枯れ木のようにも見える。それが見る見るうちに黄緑色の美しい若葉になる。実に不思議だ。桜の落ち葉も確か、若葉が緑じゃない時と同じ色だったように思う。

考えてみると、桜の若葉が茂る様子は、葉が散っていく時の逆再生をしているかのようだ。桜の花は雪が積もった状態の再現と考えれば、まさに時間を逆に戻しているかのようである。昔の人が桜に感銘を覚えたのは、むしろこの過程の方ではないだろうか。

我々は都会に住んでいたり花見の時にしか花を見なかったりするが、自然が身近にあった昔の人々は、花だけを見るのではなく、一年を通して桜の木そのものを観察する事が出来る。昔の人には、桜が時間を戻して暖かい季節を呼び込んでいるように感じたのかも知れない。復活の象徴として、その生命力に感銘を受け、珍重したのではないだろうか。

まだ咲き始めのものもあるが、桜の花びらが至る所で舞い散っている。花びらの散った砂利の小道を歩いていると、まるで夜空の銀河の上を歩いているかのようだ。コントラストの強い斑模様や斑点は目に強い刺激となり、心を揺らめかせる効果があるように思う。バリ島のガムラン音楽のように、細かい光のリズムで精神を振動させ、高みに連れて行かれるような気分になる。一種のトランス状態であろうか。

斑点といえば、その道の近くでクローバーの一種らしき植物が、青紫色の花を咲かせていた。緑の芝生に映えて、これもまた面白い景色だった。色相でほぼ対極にある色であり、色のコントラストと鮮やかな色彩が刺激的である。春の京都御苑に行けばドラッグいらずである。春に浮かれた人が出てくるのは、実はこのせいかも知れない。

Posted by ガスパーチョ at 2004年04月06日 23:59 | トラックバック
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