2004年05月31日

樹木の気持

散歩をしながら樹木の気持になってみた。

今日は雨が降るのだか降らないのだかで蒸し暑い。世の中ではヘドが出るような馬鹿馬鹿しい戦争や謀略が続いているが、この土地の植物達には無縁の話のようだ。桃の木が樹液を出していた事に先日触れたが、彼らは痛くないのであろうか。心の中で彼らに問いかけてみた…。

私達には動物のような感覚器感はありませんが、周りの気配を感じる事は出来ます。痛みはありませんが、虫達が寄って来る事はわかっています。彼らの命の助けとなるのは我々にとっても嬉しいものです。ただ、食い尽されて倒れてしまうのは少し悲しいですが。

我々にはあなた方人類・動物が持つような自由意志というものがありません。ですから宇宙の法則に従って、本能のままにしておけば良いのです。我々が怪我をして、それを昆虫が舐めるのも、宇宙の法則に従った、完璧なシステムなのです。我々はただ、そこにいるだけで良い。あなた方が悩み苦しむ姿を見ると、時々替わってあげたくなりますよ。

でも、あなた方には自由意志がある。自分で居所を決定出来ます。こんなに素晴らしい事はありません。我々は日陰でも、そこに植わったならばそこで一生を過ごさなければなりません。でもあなた方は、自分の意志でそこから脱出する事が出来ます。自分の環境を変化させる事ができるのです。羨ましくて、時々替わって欲しくなります。

ただ、あなた方でも変えられない状況というものもありますね。その点では我々と同じです。そこはもう神の領域ですから、悩んでも無駄でしょう。そういう状況には、我々の生き方がヒントになるかも知れません。

我々は自由意志がありませんが、反応する事は可能です。御辞儀草が良い例です。同じように、あなた方が我々に話しかければ、それだけ我々も話しやすくなります。ですからどんどん話しかけて下さい。歓迎します。本日は話して下さって、本当に有り難う。

…という感じの事を言っていたような気がする。

Posted by ガスパーチョ at 2004年05月31日 08:33 | トラックバック
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