2004年08月18日

雲と桃と自分

雲の高い日が多くなって来た。

台風の関係だけかと思っていたが、最近の空は雲の位置が高い。鱗状の雲も見かけるようになって来た。あながち台風だけの影響ではないのかも知れない。

夏が盛りを過ぎつつあるというのは否定出来ない事実だ。既に大文字など五山の送り火は終わり、京都の町内では地蔵盆の準備が進んでいる。時は刻々と過ぎていく…。

時が過ぎるといえば、桃の花が咲いたのは3月から4月にかけてだった。あれからかなりの時間が経過した。なかなか熟さないでいた桃の実も、今は黄色く色付いている。

実の多くは傷がついており、実りきらずに枯れたり樹液が漏れたりしているものもある。傷がついても熟したものもある。地面に熟して落ちた実が踏み付けられたりして、辺りには何とも言えない仄かな甘い匂いが漂っている。

しかし桃の実の形や色などは梅と丸っきり一緒だ。大きさまで一緒だ。どちらも非常に近い種なのであろう。進化の不思議さに思いを馳せてしまう。進化の過程には何らかの意図が感じられる。偶然だけでここまで発達したとはどうも思えない。

今もゆっくりと世界が変化し続けている。自分も成長し、死に向かっている。芽吹くように生まれ、枯葉が舞うように死んでいく…。変化しないものなど存在しない。好もうが嫌がろうが、我々は必ず変化を続けている。そうなるとこの一つだけが本当の自分だなんて、断定出来ない。

どんな自分も自分と認めざるを得なくなる。自分って何だ。他人に影響されたら、自分の境界線はどこになる。食べ物を食べたらどこから自分になるのか。どこまでが食べ物のままなのか。

結局「自分」とは便宜上の言葉に過ぎず、実在しないのだろう。自然にはそんな区別自体がないのだ。境界線を定めようとするのは、人間の悪い癖なのかも知れない。

Posted by ガスパーチョ at 2004年08月18日 23:59 | トラックバック
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