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2004年10月27日

意味を求め過ぎるな

貴方が身動きの取れない状態にあるのは、何事にも意味を求め過ぎる傾向が強いからだ。言ってしまおう、この世界には貴方が思っているような「意味」や「理由」などない。あなた方人間のレベルでは、「あるものがそこにある」という状態、「存在する事」、この意味・理由だけがあると思ってもそれで充分だ。他は無視してしまっても大丈夫なようにこの世は出来ている。

まず、考え過ぎず、その物事をそのまま楽しみなさい、予断を持たずにそのまま受け入れなさい。理由や意味というものは、後から自然に浮かび上がるものだ。

貴方は真理を求め、人生の目的を求め、生きる意味を求め、ここまで彷徨って来た。その過程で精神世界・スピリチュアル・ニューエイジなどと呼ばれるものにも手を出して来た。貴方の意味を求める情熱はかなりのものだ。だがしかし、意味を求めるあまり、その情熱は執着になってしまった。

貴方は知らず知らずの内に、意味を求めるあまりに道を見失った。意味を求める事に気をとられ、本来の目的を忘れてしまった。いや、正確には本来の目的は覚えていたが、そこへ至るあらゆる事に意味を求めてしまい、意味が見出せなくては行動出来なくなってしまった。それが貴方の身動きが取れない本当の理由だ。

他の情報源からも教えたはずだが、「この世に存在する」という事それ自体が、あなた方を始め全てのものの何よりも一番大きな使命であり、目的であり、理由だ。それがわかった貴方は、リラックスして、安心して人生をそのまま歩めばよかった。じっくり考えれば、「この世に存在する」という事だけでも充分な意味が込められている事がわかるはずだ。

しかし疑い深い貴方は「もっと意味があるはずだ」と答えを探し続けた。だから貴方は迷ったのだ。貴方の心には疑いと、「もっともっと」と求める欲望が残っていた。求道者の信念は、時としてこのように道を踏み外す元になってしまう。普通の人が普通に生きている方が逆に悟りに近付いたりする。皮肉なものである。

貴方も考え過ぎず、まずはその物事をそのまま楽しみなさい。予断を持たずにそのまま受け入れなさい。理由や意味というものは、後から自然に浮かび上がるものだ。人間の頭脳で神の与えた意味を何でも最初から理解出来ると考えるのは傲慢だと思わないか?必要な意味は、必要な時に必要な場所で与えられる。心配して焦っても仕方がない。だから物事をそのまま楽しみなさい。予断を持たずにそのまま受け入れなさい。

焦り・不安・疑い・欲望は、まだまだ貴方の中に残っている。いきなり全部消滅させることは無理だ。しっかり観察して少しずつ取り除いて行けばよい。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
22:20に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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