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2004年12月14日

初心の生活

昔、世阿弥が「初心忘るべからず」と書物に記した。道を極めたくばしっかり集中しろとか、最初の志を忘れるなという意味だ。「初心で行動する」とは、習慣となっている行動を何気なく行なうのではなく、改めて初めて行なうかのような気持になって、真剣に行なう事を言う。この状態は、集中を高めるだけでなく、新たな情報を脳や肉体に入れやすくする効果がある。

生活そのものを全て初心で過ごしてみると、非常に面白いと思うのだがいかがだろう。

先日見たテレビ番組(参考)では、『壊れた脳 生存する知』の著者である山田規畝子氏が出演しておられた。その中で彼女は行動の記憶を司る脳の一部を損傷し、高次脳機能障害という後遺症が残った自らの実体験について語っていた。

人間の生活におけるあらゆる行動は、脳に蓄積された経験の記憶を引き出す事によって自動化されている。彼女の場合は脳の損傷により、その記憶が消えてしまった。一部の経験がすっかり消え去り、それに関連する情報との連絡も断たれてしまった。その為一部の行動に関しては赤ちゃんのレベルから経験し直さなくてはならなくなった。彼女は望む・望まないに関係なく、脳の損傷によって初心に戻らざるを得なくなった。

ここで初心で行動する生活と習慣的行動の生活との違いを知る事が出来る。習慣的行動は、ただ過去の情報を引き出すだけで、その行動には何の進歩もない。しかし初心の行動の場合、改めて脳に情報を送り込み、過去の経験との僅かな違いでも情報を逃さず吸収し、情報を更新する事になる。

常に最新情報が届けられるので、応用の幅もそれだけ広がる。また、更新の際に過去の情報を検証する作業も行えるので、より正確さを高める事が出来る。さらに、いつでも何にでも初心でいると、毎日のつまらない繰り返しだと思っていた生活に新鮮さがもたらされる。しかも記憶の書き換えをする癖がつき、新たな事態に対する用意や行動もとりやすくなる。そのうえ初めて対処する事態だという気持により、自然に集中力が高まる。どんなに単純で慣れ親しんだ行動でも、初心で行動する事を続けていれば、応用の効く正確な行動をとりやすくなるという事だ。

もちろん初心にならなければならないと考えて過去の情報をまるっきり無視したり、すっかり忘れ去らないといけないとは言っていない。過去の情報をちょっと脇に置いておけばそれで良いのだ。ゲームで1回クリアした面を、面白かったので改めてやり直そうという時くらいの気持で良い。あるいは吉本新喜劇やドリフのベタなギャグがまた出るぞ、ほら出るぞ、という時の気持。つまり、初心になる場合には、積極的に楽しもうとする事が助けになる。

さあ、毎日を初心で楽しもう。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
22:35に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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