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認識力が高いと、仕事や勝負などにも有利に働く。相手より有利な情報を得やすくなるからだ。また自我の快楽を満たして悪事を働く為に、認識力を鍛えている者もいる。それを見破るにも認識力がものを言う。
さらに多少の個人差はあれども、徳のある人物や愛情の深い人物は、気配りが良く出来る。なぜそう出来るのだろうか。それは彼らの知覚が発達しているのではない。今を生き、現実を受け入れ、現実をしっかり認識出来ているからだ。
そういった気配りの出来る人間になるには、認識力=現実を正確に認識する力を得るにはどうすれば良いのだろうか。
実は身につけようとする必要はない。ただ受け入れれば良いのだ。人は常に無数の情報を目にし、耳にし、触れ、嗅ぎ、味わい、感じている。それらは普段自我の働きによって振り分けられ、限定された情報のみを受け取っている。
自我が上手く働けば必要な情報はすぐさま手に入る。しかし自我が混乱したり暴走していれば、必要最低限の情報さえ入って来ない場合があり得る。自我の問題を放っておいて心の教育を家庭でも学校でも行なわない現代社会では、ひどい事故や事件が起こるのも当然の理だ。
現実を正確に認識するには、まず心を整える事。怖れや不安を収め、気持をリセットする。そうして今まで閉ざしていた心を全部開け放って、改めて現実の全てを受け止める。情報の選り好みをしない事。その上でいらない情報を受け流す。それだけの事だ。
必要な情報は向こうから勝手に流れ込んで来る。自分にインプットされた情報の中からただ選べば良い。意図的に認識しようとすると、確かに関連した情報は集まりやすい(資料を集める場合においてはそれで良い)が、意図から外れたものは集まらない。意図した角度以外の情報が入って来づらいのだ。だから何も身構えず、心を静かにして、心を開けばそれで良い。
結局の所、自我が本来の役割をスムーズに滞りなく果たせばそれで良いのだ。現代人は心を整えられないと言う点において非常に退化している。実に勿体無い事だ。