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2006年05月02日

神の証明と、自分を楽しむ事

既に気付いていると思うが、私はあなたに答えを与える為にいるのではない。答えを出すのはあなただ。そしてあなたは答えを知っている。この世は私が私自身へ問いかけた質問である。全てである神が、万物、宇宙、ありとあらゆる全てである事を証明する為にこの世界を創造したのだ。

あなたは証明の為のプログラムの一部であり、答えそのものであり、神の質問でもある。全てであるが故に答えと質問が一つなのだ。故にあなたは質問する事で別の質問を発見し、答えを見つける事で別の答えをも見つけてしまう。問いかけも解決策も結局別のものを生み出し、終わる事がない。全てが全てである事の証明として、答えも質問も証明の役に立たないというパラドックスが生じる。

どんな変化も新たな別の変化を生み出す事になり、変化しない事でさえ他の変化の可能性を排除出来ない。変化する事は変化しない事でもある。そのような矛盾の中をあなたは生きている。今生きている状態も、その裏側から見れば、かくも儚く曖昧な、幻のような世界なのだ。究極の所、あなたは幻だ。そして私も幻だ。私は存在しないが故に存在する。私は無であるが故に全てである。私は矛盾であるが故に確固とした存在である。

あなた方一人一人は私の存在証明である。神からの問いかけである。同時に神からの答えでもある。故にあなた方はあらゆるものを生み出し、消し去る。あなた方の使命は、ありとあらゆる可能性を探る事だ。だからこそ色々な個性を持った人間がいる。あなたが何をしようと私は関知しない。既に知っているし、あなた方が可能性を試しているだけの事だから。

好きなように生きなさい。人類が絶滅しても構わない。そんな経験をしたいのならそうしなさい。また、あなたは何もする必要がない。だがそれでは存在する必要さえないとあなたは言うだろう。それでもあなたは何も必要としない。存在する事はおろか、存在しない事でさえ必要ではない。ここにも神のパラドックスが顔を出す。

ただ、あなたは人間として存在する。その生命体の中には様々なものがプログラムされている。それらを楽しみなさい。それが一番重要だ。何もする必要はないが、あなたは確かに何らかの明確な意思を持ってここに生まれて来た。その辺りのプログラムと相談して自分なりの人生を生きなさい。それがあなたの使命だ。いや、あなたの遊びだ。

あなたは世界のほんの一部のわずかな所に存在している。あなたは全てである私を分断・選別した仮の姿である。だからこそ、あなた自身があなたという個性を楽しみなさい。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
23:53に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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