2005年10月の記事一覧

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2005年10月30日

全ては認識にあり

悟ろうとする必要はない。なぜならあなたは既に悟っているからだ。悟りそのものだからだ。悟っていると同時に悟っていない状態を体験しているのだ。矛盾しているようだがこれこそ真実。悟りとはこの世とあの世とその他全ての世界の総和、その全てを認識しきった状態である。全てそのものが悟りとも言える。つまり世界・宇宙・神である。あなたは悟り(世界・宇宙・神)の一部である。だが悟りである事には変わりない。悟るという事は、全てと意識が繋がる事である。意識が繋がる事であるならば、全ては繋がっている。全ては繋がっているならば、あなたは悟り(世界・宇宙・神)そのものである。にも拘らずあなたが悟っていないのはなぜか。

個人としてのあなたは悟り(世界・宇宙・神)のほんの一部。悟りを表現した演劇の登場人物に過ぎない。人間である限り完全なる悟りには至らない。しかしそれで良いのだ。登場人物が覚えておく必要があるのは台本だけで充分。だから悟らなくて結構。解脱を意識して修行する必要もない。悟った状態、つまりあなたの真の姿が世界の全てである事を確認し、改めてこの世界を味わい尽すだけで良いのだ。個人としてのあなた以外の存在も、実際はあなたであるから、この世はファンタジー、演劇、ゲームである。

こういう認識も実は幻想であるのだが、この世をただ一つの現実と捉えるよりは遥かにリアルで正確な認識である。しかしこの世やあなたの人生がただ一つのリアル=現実であるという捉え方も外れている訳ではないし、正確でもある。より自由に生きたければ前者の認識で良いし、より体験を深く感じたければ後者の認識で良い。

自他の区別はこの世を生きる為のツールであるが、実際にはそんなものは人間の勝手な解釈に過ぎない。世界はただあるのであり、全ては全てである。区別・差別は人の勝手である。時間や空間なんてのも人間が勝手に想像しているだけだ。生きてる、死んでる、という区別でさえも幻に過ぎない。この世もあの世も区別はない。黒も白も、人間の目からの判断に過ぎない。命あるものとないものとの違いは始めから存在しない。本当も嘘も実際には存在せず、人が勝手に認識・判断しているに過ぎない。ポジティブ・ネガティブも然り。「ある」「ない」というものでさえ、人間が勝手に決めた認識のルールである。ありとあらゆる区別は人の幻想である。

あなたはあなたであり、全ては全てである。人はファンタジーから抜け出す事は出来ず、ファンタジーを生きるしか術はない。人はリアルから抜け出す事は出来ず、リアルを生きるしか術はない。ファンタジーしかないからファンタジーは存在しない。リアルがあるだけだからリアルは存在しない。ファンタジーはリアルであり、リアルはファンタジーである。それが理解出来ないから、人は悟りを求める。救いを求める。答えは認識にある。全ては全てであり、あなたはあなたである。これが全てだ。リアルとファンタジー、この2つの認識をツールとして活用しなさい。これらはあなたの頭脳の為の二進法。これを使いこなせば、これまで以上に生きやすくなるだろう。

人は幻想と現実を同時に生きている。元々区別はないが、ツールとして便利だから人は区別して認識する。全ての原因は、あなたの認識の中にある。つまりあなたが全ての原因だ。そして結果を認識するのもあなただ。あなたが始まりであり、終わりなのだ。アルファでありオメガだ。あなたが神なのだ。全てとは神の事だ。だから全てとはあなたの事だ。よってあなたは悟っている。

悟ろうとする必要はない。なぜならあなたは既に悟っているからだ。悟りそのものだからだ。

Posted by ガスパーチョ at 02:11 | Comments (0) | TrackBack