2004年03月08日

点から始まる生命

生命に進化しようと意図したのはだれなのだろうか?

今日は晴れ。やや遅めの出発。少し寒いので、ハナコの体を撫でて犬小屋から出す。今日も梅の花を見物しに、人々が訪れている。梅の木から、鳥の声が聴こえて来た。見ると、シジュウカラがジージーと鳴いている。機械のような不思議な鳴き声だ。小さなモーターの音に似ている。

ある梅の木にはメジロらしき鳥の一群がとまっていた。夕焼けで薄暗いので、本当にメジロかどうかはよくわからない。しきりに動き回り、蜜を吸っているらしい。それにしても、何と小さい体だろうか。スズメよりも小さい。こんなに小さな体の中に、生活の為に必要な本能や能力、一通りの感情まで詰まっている。まさに奇跡だ。

人間も、樹木も、鳥も、犬も、どれも同じ生命。たった一つの単細胞生物からあらゆる種類の生命が生まれた。しかもこの宇宙でさえ、たった一つの点からビッグバンで発生したと言われている。驚くべき事だ。元を辿ればただ一つの点に行き着く。

我々の体は物凄い数の細胞で作られている。それぞれが一つの細胞から生まれ、それぞれのシステムに分類され、それぞれの特性を持ったものに成長していく。これもまた地球での生物の進化と似ている。我々は自分の体が一つの生命体だと思っているが、細胞それぞれが一つの生命体であるとも言える。珊瑚のコロニーのように、我々の体は細胞のコロニーに過ぎないとも言える。我々人類は巨大な肉体を持つ生物に進化したのではなく、バランスの取れたコロニーを形成する生命維持システムを構築した単細胞生物の集まりとなったと考えると、実に不思議な気分だ。

自分が自分として意識しているのは幻で、実際に生きているのは個々の細胞。しかし、その細胞を作っているものは原子や分子。それらが変化して、生命と呼べるものが誕生したのだ。これは単なる偶然か、はたまた進化の必然か。進化の必然なら、意図などの意識や感情は、必ずしも能の働きだけで発生しているものとは言えなくなる。進化はある程度の意識の反映がないと起こらない。さもないと奇形の生物だらけで分類など出来たものではない。ならば、原子や分子が生命に変化した時にも何らかの意志が働いたのだろうか?その意図を起こしたのは誰なのか?

生命の起源を考えると、まるで果てのない宇宙を彷徨っているようだ。

Posted by ガスパーチョ at 2004年03月08日 23:22 | トラックバック
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