2004年04月01日

桜の命

日本の国花として認められている桜。日本人の心を捉えて放さないのは何故だろうか。

今日も良い天気だった。ちょっと時間がないので、今日は小回りで行く事にした。やはり桜は京都御苑の至る所に生えていた。木によっては既に、かなり散り始めているものもある。しかしまだ咲いていないものもある。一方、桃の花は未だに花盛りだ。どうやら桃の花は桜の花よりも長命のようだ。

それにしても、どうして日本人は桜の方が好きなのだろうか?梅前線とか桃前線であっても良いと思うのだが。他の季節も色々な花の前線を作ったら良いと思うのだが、あるのは桜と紅葉だけ。なぜだろう?

桜は一気に咲いて一気に散って行くイメージがある。武士の死生観と照らし合わせて、散り際が潔いという人もいるらしい。潔さで言えば桜より椿の方が、花ごとバッサリ落ちるのでもっと潔さそうに思うのだが。桜は短いサイクルで、枝だけの状態から花が咲いた状態になって葉っぱの生い茂る状態に変化するようだ。流行に乗る移り気さのせいなのか、新しい物好きな感覚があるからなのか、…。

変化と言えば、最初は真っ白な蕾なのに、開花して少し経つと薄いピンクになり、葉っぱの芽が赤色を添えたと思ったら、今度は緑と薄いピンクの混在した状態になる。花が散れば完全に黄緑。色の変化も結構激しい。そして桜の木から取れる染料の色はなぜか青色だ。この変化の激しさ、一本の木が持つバラエティーの豊さに、何かの魅力を感じているのだろうか。桜の中に自然の縮図を見ているのであろうか。

日本の桜の8割は染井吉野だそうだ。1本の木から枝をとり、それを増やして行ったらしい。つまりクローンのようなものだ。桜が日本人の心を表わしているのではなく、日本人の心を表わした桜が広まっただけなのかも知れない。桜、特に染井吉野を植えるとは、自分の認識を他人にも共感して欲しいという意志表明という事だろうか。そうならば、染井吉野はケータイ文化やウェブ日記文化の原型のようなものかも知れない。

桜とは、日本人の心を捉え、共鳴する魅力があるのではなく、日本人の心を表わす為に作り出された道具だったからこそ、国花となり得たのであろう。日本人にとっての桜とは、花ではなく、もはや日本人の気持を表わした言葉そのものなのであろう。

Posted by ガスパーチョ at 2004年04月01日 23:59 | トラックバック
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