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2004年04月01日

世界は幻

我々が見たり聞いたり感じたりする世界は、実は本物ではない。生命体として直接感じているという視点では本物なのだが、全てを感じている訳ではない。全てを感じていないから、とりあえず感じられる部分だけで解釈しているに過ぎない。我々は世界を感じられず、世界とは違うものを感じている事になる。そういう意味では、我々の感じているものは、単なる幻だ。

我々が見ている世界というものは、長い進化の過程で種族の中で同意された共通の視点の部分でしかない。例えば、ある白一色の花を赤外線カメラか何かで撮影すると、今までなかったはずの模様が浮かび上がるという映像を、私はテレビ番組で見た事がある。我々には見えないが、昆虫には見える世界がそこにはある。昆虫には必要な情報だったが、我々人類には必要無い情報だったのだろう。

我々人類には可視光線以外が見えない。いやむしろ、我々は可視光線しか見ない事にしている。そうでなければ、種族内で連帯を保つ為の情報共有が出来ないからだ。そういう意味では、視点や感覚も、人類の共通認識・共通言語という事になる。その共通部分から外れるものを見る事ができるから、霊能者や精神異常者などというカテゴリーに分類されてしまう人間が出てくるのである。もしかしたら、彼らの見ているものが本当だったりするかも知れないという事だ。

同じように、聞こえる音も種族によってかなり異なる。匂いもそうだ。皮膚感覚さえ違う。これらも種族の共通言語として合意されたものだけを我々は感じているのだ。我々が見ているものは、実体ではなく、我々の頭脳が解釈した「言葉」を見ているに過ぎない。

その事を端的に表わしているのが、催眠術ショーである。この催眠術にかかれば、辛いものも甘くなり、弱かった力が強くなり、現実にないものさえ存在する事になる。催眠術で熱いものを触ったと思ったら、実際にそこにやけどの症状が現われたりもする。我々は無意識のうちに、情報を選んでいるのだ。全ては頭が創っている世界と考えても間違いではないという事だ。だから映画『MATRIX』も、あながち嘘でもないのかも知れない。

そんな選ばれ限定された情報を元に、宇宙人や幽霊が実在するだのしないだのと論じているのである。何とも滑稽な事だ。結論の断定と思考停止は紙一重。充分注意が必要だ。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
02:34に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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