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2005年12月27日

覚悟

様々な困難が待ち受ける人生を生きるには、覚悟がいる。覚悟をするには努力がいる。しかし、考え方を変えれば、覚悟をしようと力まずとも自然に生きられる。覚悟とは世界の全て、事実の全てを素直に受け入れる事だからだ。文字を見ればわかるように、覚悟とは悟る事である。覚悟のしかたの中に、悟りのヒントが隠されている。

「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という言葉が、『葉隠れ』という本の一節にある。侍は戦いを決する為に、あらゆる雑念を振り払い、文字通り真剣勝負を行なわなければならない。戦いの場においては生死に関する考えをも捨て去らなければ心が乱れ、隙を作る事となる。その為に侍は、命を捨てても構わない、死んでも構わないという心で戦いに臨む。戦いに勝つ為に自分の全てを投げ出し、人生の全てを運命に委ねる事により、最善を尽す事ができる。これが覚悟である。

作家の畑正憲氏(ムツゴロウさん)は、飼い主にさえなつかない猛犬と友達になりたい一心で、犬の前に身を投げ出す。怪我をしても、噛み殺されても構わないと思い、犬に自分の命を投げ出し委ねる。自分の生殺与奪の権利を犬に与えて、敵ではない事を示すのだ。これが覚悟であり、誠意である。

神に従う聖職者は、全世界が神の御心であり、自分の運命・生命は神から与えられたものであり、神なしには存在出来ないと考え、全てを神に委ねる。そうして世の困難な事態に献身的に取り組む。神に委ねるという事は、全世界…つまり神に生殺与奪の権限を与える事である。これがガンジーの言う無抵抗不服従であり、覚悟であり、誠意である。

これら三種の人間は死を恐れない。そしてどんな運命をも受け入れる。しかし運命に流されず、自分の意思を貫く。この中で一番強く確実に覚悟を決められるのは聖職者である。聖職者は無条件に全ての物に自分の全てをさらけ出す。神があらゆる事を司っている事を信じているから、神を信頼すればそれで良いと理解しているのだ。これが信仰である。

覚醒者…悟りに至った者は、全世界が自分であり、全ては一体である事を知っている為、個人としての自分を世界から分離して考える事を止める。全てが自分であるならば、何も恐れる必要はなく、守る必要もない事になる。故に自分から自分を隠したり守ったりする必要を感じず、自分を世界に委ね、世界の全てを受け入れる。これが無為自然である。この状態に至れば覚悟をする必要さえない。悟っているから自然にそうなるのだ。

あなたの人生を恐れる必要はない。身を守る必要もない。全体としてのあなた、本来のあなたがこの世界の全てを司って操っているからだ。全ては一体である事を思い出しなさい。その事についてじっくり考察しなさい。いつも大いなる全体としてのあなたが、個人としてのあなたを助けている事を忘れないように。どんな事柄も、あなたの為に起こるのだ。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
14:02に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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