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2006年02月03日

天職は探せないものである

天職に巡り会う人間はごく僅かだ。天職とは天命が生業と一致したものだからだ。天命と生業は大抵の場合一致する事は少ない。天命とは、あなた方が生まれる時に設定したこの世界での使命であるから、職業になり得ないものも数多くある。生業となる適職ならばあるのだが、天職を探そうとすると見つからないのはその為だ。

天命に近い仕事を見つける事は可能だが、必ずしもそのような仕事をしている必要はない。あえて天命に近い仕事を選ばずに天命を行なう事も充分にあり得る事だ。実は、天命のバリエーションが多岐に渡るが故に、天職に巡り会う事を最初から設定していない人生の方が多いのだ。天職が最初から設定されていない人生の人間が天職を探す事は時間の無駄である。天命や適職を探すのは好い事だが、天職を探すのはやめておいた方が良いだろう。

自分探しや天職探しで時間を浪費する人間の、何と多い事か。真の自分の在り方を求めようとする心意気は素晴らしいが、残念ながら進む方向が少しずれている。天職という概念を捨ててしまいなさい。エゴに振り回されないように自分を解体して分析するように、既存の価値観も解体して分析しなさい。これがまだしっかり行なわれきっていないので、このような誤解があなたの心に生じるのだ。

あらゆる概念をチェックしなさい。あらゆる固定観念を追い出しなさい。言葉も観念も、あなた方の理解を助ける上での暫定的な印に過ぎない。印にこだわり過ぎて本質を見逃しているのが今のあなた方だ。印ばかりを見てこの世界は薄っぺらいものだと勝手に決めつけているからこそ、戦争や環境破壊を平気で行ない、他人を平気で傷つけたり無視したりできるのだ。

この世界は印の枠内におさまらない、限り無い奥行きや深さを持ったものである事を覚えておきなさい。勿論あなた自身も、あなたの思考の枠を限り無く遥かに超えた存在である。思考の枠を超える為にも、ただ単に世界を感じるひとときを持つ事を勧めよう。何も考えず、ただ世界を感じてみよう。そういう意味でも瞑想や座禅などは有効である。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
23:56に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
Comments

今朝これを読んでから、職業について考えてみました。生きていくためには人の評価が必要。
そして自分の評価と人の評価は一致することがないことのほうが多い、かもしれない。
実力的にも好き嫌いにも・・・・。
それが一致しないと結構苦しいものがありますね。
ガスパーチョさんのおっしゃるとおり、ひとつの枠に収まろうとすると違う可能性が見えなくなります。以前の私には時間軸の枠しか認識できませんでした。でも、自分は前後左右上下時間枠を超えた、空間を越えた存在であると思うと「職業」という枠がいかに小さいかがわかります。
天職は「目の前にあること」だと考え、それに一生懸命取り組むこと・・と肝に銘じます。
これでいいのかなああああ?

Posted by: chitochito at 2006年02月04日 23:46

自己評価も他人からの評価も、感情的理由から視線に歪みがかかる事は多分にありますね。人間の認識力も完全無欠ではありませんし。視点や想像力・自由な思考を拡げつつ、今この状況に誠実に対処するのが肝心なのかも知れませんね。
でもこの生き方は結局、「余計な事を考え過ぎず、素直に自然に生きる事」なのかなとも思います。他の生き物なら普通にこなしている事でもありますが。確かに今の時代、人の精神は雑然としているようなので、このようなシンプルさは必要かも知れません。
動物と違い、人は生き方に対しての自覚があります。この「自覚」をしている事がきっと重要なのでしょう。人を人たらしめるのは、実はこの「自覚」する能力あってこそなのかもしれません。
…何だか取り留めないコメントになってしまいました。

Posted by: ガスパーチョ at 2006年02月05日 09:51
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