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2006年03月30日

日本人の宗教観 和から同調へ

日本人と宗教をテーマに語るという事ですが、まず何から話せば良いでしょうか?

思いつく所から始めてみなさい。

じゃあ、一般的な神様に対する接し方から見てみましょう。生活の中の風習や、お祈りの時の態度など。

そうだね。

まず神様といえば神頼み。日本人は何かと言えばすぐ神頼みしますね。神道自体が現世利益の為の祈祷を行ないますからね。神道は、お祓(お浄め)と祈祷を主な活動として行ないますから、かなりシャーマニズム色の強い宗教です。だからこそよく神頼みをするのですが、本来の神道の仕事としてはお祓の方がメインのようですね。

そう、古来から日本人は自分自身や身の回りを浄める事に特に注意を払って来た。

私は部屋の掃除がなかなか出来ませんけどね。

まあまあ、それは後から話そう。日本人は現世において、心が周りの様々な刺激によって彷徨い、神とのつながりを忘れてしまいがちな事を知っていた。だから清めの神事(祭)を行なって心の清らかさを保つ事を心掛けて来た。この清めの技法は大自然のリズムに沿ったものであるから、全体との調和を維持する作用に優れている。そうやって古代の日本の人々は神と繋がっていた。全てと和する事=神と繋がる事こそ幸せの秘訣だと知っていたのだ。

だが、いつの頃からか清めの意味合いが薄れて行き、祭が娯楽性を高めて人々の交流の場という意味合いばかりが強くなった。決して娯楽性が悪いと言うのではないが、調和は当たり前の事、つまり常識とされて、深く考察される事がなくなってしまった。和をもって尊しとする思想は、時代を経る毎に周囲と同調する事が当然という風潮に変わってしまった。

それが仲間外れ(村八分)やいじめの起こりやすい国民性を生んだのですね。

そう、少しでも周囲と違えばその違いを恐れたりしやすくなってしまった。仲間同志の結束を強める為に、集団によるいじめが発生する。仲間と同じ事をする安心感や、異なる事で疎外される事を恐れて流行りに飛び乗る、あるいは勢いのある勢力に便乗する態度もこの誤解から生じている。

なぜ人々は、神(全体)と繋がる事を忘れてしまったのでしょう?

それは次回に話そう。

カテゴリー:神様と語り合う | 執筆: ガスパーチョ
17:01に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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