私のblogにご訪問有難うございます。まず「このblogについて」 をお読みになってからご覧下さい。

2006年03月31日

日本人の宗教観 形式主義の弊害

なぜ人々は、神(全体)と繋がる事を忘れてしまったのでしょう?

それがなぜ消えてしまったのか、それに答えよう。確かにあなた方は古代、神=全体性との繋がりを大切に考えていた。故に繋がりを保つ為、浄めを生活に取り入れた。それによって人々は精神性を保って来た。だが、浄めの儀式さえ行なえば大丈夫という慢心が表われて来た。浄めてい続ければ汚れる事はない、世の中の様々な問題に惑わされる事はないという思い込みが出来てしまったのだ。

過度の潔癖性は思わぬ病を引き寄せる。共生していた善玉細菌まで殺してしまうからだ。磨き過ぎて身を削っている事に気付かないのだ。浄めは万能ではない事を忘れてしまったのだ。

そういえば異常に潔癖性の人って、いますね。温泉好きも浄め偏重に一役買っているのでしょうか。浄め偏重によって、どう変わったのでしょう?

まず、精神の構造を論理的に理解する意欲を失った。多少汚しても浄めれば大丈夫という思い込みが、汚れの原因を考える意欲を持たせなかった。西洋人文化のように、原因や結果への考察はあまり発達しなかった。幸い浄めの行動はイメージを刺激するものだったので、情緒的な感性は敏感なまま残った。情緒的な感性からの欲求を満たす為、観察力はあまり衰えなかった。

次に、情緒的感性が強く論理性が弱い事により、臭いものには蓋的な行動パターンが出来上がった。問題を突き詰める事なく水に流し、浄めで心を切り替えるのが常となった。決して間違いではないが、こればかりでは進歩がないという事に気付かなかった。

では、浄めの性質が衰えて来たのは何故でしょう?

とにかく浄めれば問題ないという風潮が広まり、浄める儀式さえすれば何とかなると思い込むようになった。そこから形式を重んじる風潮も派生した。だがこの形式主義が発生した事で、形式の奥にある意味が見過ごされやすくなってしまった。

形の中の意味は、専門家の間では伝えやすかったが、そうでない人々には伝わり難かった。そこから一般の人々の間には、体裁さえ整えば良いという風潮が生まれた。自然に清めの儀式や祭も形ばかりのものとなって行く。結果、大多数の人々は形式・体裁にこだわるようになり、心を見失った。形に囚われ、表面的なものしか見なくなった。

近年になって急に精神性が失われたように見えるかも知れないが、変化が急激になっただけだよ。流れとしては大昔からあった。

この辺りまでの事は私も考えた事があるのですが。

考えさせたのは私だよ。それはさておき、あなたはもっと深い所を知りたいようだね。でも、焦らなくて結構。ちゃんと教えてあげる。

頼みますよ。それで、このような日本人の精神が、どんな害をもたらすのでしょうか?

それはあなたが注目して止まない第二次世界大戦時の日本を見ればわかるだろう。軍人は実績よりも年功序列で昇進し、現実よりも面子を重視し、嘘に嘘を重ね、臭いものに蓋をして、不備を精神の純潔でカバーしようとして、悲惨な敗北を喫した。まさに形式や体裁への偏重が引き起こした悲劇だ。

現代政治における箱もの公共事業もそうだ。形さえ与えておけばそれで経済政策は万全だという思い込み。これで大きな利権が生まれ、腐敗が進行した。教育もそうだ。良い大学に入り、良い会社に入りなさいと教育し、結局人間性を失い様々な汚職・モラルハザードが起こる。例を挙げればきりがない。

これが日本人の宗教観から発した誤解という事ですね。

そのほんの一部だが、日本的なものを抜き出してみた。確かにニール氏の指摘する宗教観の誤解は日本にも存在するよ。まあ、神様という概念が東洋と西洋ではかなり幅が違うから多少の違いはあるが、大体はあの通りだ。これについて、あなたはまだ話したいかな?

う〜ん、大体あの通りで済ませられるとは…。

君はもっと様々な事を話したがっているようだからね。一旦別の話題に切り換えても良いが、どうだい?

まあ、確かに色々ありますが。

いつでも戻りたい時に戻れば良い。この対話には終わりはないからね。あなたが望まない限りは。

そうですね。ではとりあえずこの話は終わりにしましょう。

君は私との対話をもっと深めたいようだね。

勿論です。

でも、何となく話題が自分の思考の範疇から抜け出さなくて不満に思っているね。

仰る通りです。

焦らない事だ。続ければコツが掴めて自然に深まってくる。絵の方も深く楽しみたいのだろう?人生をもっと充実させたいのだろう?だったら生活のリズムを建て直す事だ。この対話も義務にしてはならない。その日に無理なら、その日はやめても良いんだよ。無理はいけない。無理をすれば歪みが生じるから。

わかりました。気を付けます。しばらくは個人的な事柄に集中して対話する方が良いかも知れませんね。

その方が良いだろうね。

カテゴリー:神様と語り合う | 執筆: ガスパーチョ
23:54に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
Comments
Post a comment









Remember personal info?