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2005年03月07日

静けさの中にいる事

今を充分に感じ取る事が、人生を深く味わいつつ効率的に生きる秘けつだ。人は過去に経験した記憶を元に、現在の行動を簡略化して生きている。この時、過去の記憶にどれだけ依存しているかで人の経験は大きく変わる。

今を充分に感じ取る訓練を行なえば、雑念に囚われる事もなく充実した人生を送る事ができる。幸福や健康、犯罪抑止から平和に至るまで、全てこの訓練で得る事ができるだろう。ゆえに、内面においても外面においても観察が重要となる。

人の頭の中では絶えず思考がうごめいている場合が多い。完全に五感を開き、今ある所で全てを感じ取っている人は少ない。大抵は過去や未来の事を頭の中で考え、今ある所のごく一部の感覚しか受け入れていない。

脳が思考や行動の記憶を再生する事によって自動化し、情報処理の手間を省いている為、新しく情報をインプットする事が少ないからだ。何もしない時などは特に、頭の中で思考が洪水のように渦巻く。そんな不快な状況をなくす為、人は何らかの逃避行動をとる。TVやゲームやインターネットなどが格好の逃避場所となっている。

しかしそれでは非常に効率が悪く、進歩も少ない。心が絶えず未来や過去の情報に振り回されているだけで、それでは夢を見ているのと同じ事だ。寝ながら起きているような状態であり、本当の意味では今を生きている事にはならない。現実を生きているようで、実は記憶の中を生きているのだ。

本当の意味で今を生きるならば、今している事や、今置かれている状況・自分の状態に充分に気をつけねばならない。今を充分に生きたいのなら、過去や未来の想像・妄想に気を取られている暇はない。幾ら夢の中で行動しても現実を変えられないのと同じ事だ。

今を生きるならば、今まで自動化していた行動・思考を意識的に行なう事になる。そうなると行動にいちいち無駄な精神力を使うかのように思えるが、逆に有益な結果がもたらされるのである。あるレベルで自動化され、停止していた行動・思考が、毎回情報を更新する事により洗練され、経験を重ねる度に、より的確で効率的かつ美しくなるのだ。毎回新たに情報を入力する為、あらゆる経験が新鮮に感じられたり、新たな側面を発見する事になる。

今を100%生ききる事ができるなら、毎瞬必ず成長し、常に新鮮な世界を感じる事ができる。天才や徳の高い僧侶などもこのような生き方を心得ている事から、これがいわゆる悟りの境地ではないかと思われる。このような生き方が誰でも出来れば戦争も犯罪もほとんど起こらないだろう。

このような生き方には、思考パターンの観察や集中力の育成などが必要であり、それには座禅や瞑想が有効である。そのような訓練をしてこそ、今この瞬間を充分に感じ取る事(=初心になる事)が可能になる。例えば、あるネイティヴ・アメリカンの部族は次のように子供を教育していたという。

「子供の訓練は、じっと座っていなさい、そしてそれを楽しんでごらん、という教えから、はじめられるものである。子供たちは、嗅覚を敏感にして、なにも見るものがないところになにかを見たり、まったくの静寂のなかに、じっとなにかを聞き取ったりするように、と教えられた。じっと座っていることのできない子供は、ちゃんと成長していない子供だ」  ルーサー・スタンディング・ベア(アメリカ・インディアンの首長) [『神を待ちのぞむ』の「じっと聴いてごらん、そしてそれを楽しんでごらん」より引用]

心を静に保ち、今を感じる事が出来ない現代文明人の多くは、彼の言う子供に当てはまる。静かに出来ず雑念という夢の中を彷徨っている(夢遊病状態)から混乱が起こる。現代文明人に今一番必要なのが内面も外面も観察する能力であり、今こそインディアンの首長が語る訓練のようなものが必要なのである。

TVやラジオを消し、ゲームやインターネット閲覧を止め、ヘッドホンを外そう。悩みや妄想を一旦止めよう。心を静かにしてみよう。眼を開き、耳を澄まし、臭いを嗅ぎ、触ったり味わったりしてみよう。自分が何を感じているか観察しよう。何を思っているかを観察しよう。何か見逃していないかを考えてみよう。今をとことん味わいつくし、世界と自分を充分に感じ、認識しよう。そうして少しずつ、目を醒ましていこう。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
01:08に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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