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2006年03月13日

行動に見返りは無い

行動に見返りを求めても返って来ない。宗教を信じれば天の恵みが来るとか、助けたのだからお礼の土産ぐらい持って来いだとか、人はなにかと取り引きをしたがる。それは行動をコスト=負担と考え、利害で動こうとしているからだ。どんなに苦労しても思うような結果が出なかったり、人から頼まれた事をしてもその事が全く活かされなかったりという事はよくあるものだ。その時人は怒りで相手を罵倒したり地団駄を踏んだりするが、人間関係=取り引きではないし、行動=商売でもない。行動によって顕われるのはあくまで結果であって、見返りではない事に気付きなさい。あなたが望むものは、行動で得られるのではなく、あなた自身の態度の変化によって得られるのだ。

人は何らかの体験をする為に必要な状況を作る為に行動する。あなたは何かを求めるが故に行動するのだから、それは自発的な意思によると言える。たとえそれが依頼であろうと仕事であろうと命令であろうと、あなたが何らかの状況を体験する為に相手の提案に同意しない限り行動しない。あなたが決断する時には相手の事は関係なく、自分の意思により決断する事になる。

どんな行動であろうと、それはあなたがあなた自身のために決める事だ。たとえ取り引きであろうと、仕事であろうと、究極的には全てあなた自身のためにあなたが行なう事であり、全てはあなたの決断であり、責任である。求める結果に近付ける為に相手と交渉する事は勿論どんどんやれば良いが、相手に怒りをぶつけてもそれは見当違いな反応であり、何の解決にもならない。

あなたの行動は全てあなたの為のものであり、負担となる事はあり得ない。あなたの意にそぐわない状況に遭遇しても、それは結果の一つに過ぎない。それに対して怒るのは、状況の関係者や神様が意地悪をして自分に求めるものを与えてくれないと考えてしまうからだ。さらに言えば、あなたがある結果を求め過ぎて、その他の結果を認めたくないから、周りのせいにして怒るのだ。あるいは自分を責めてしまう。これもまた見当違いな反応であり、何の解決にもならない。

突き詰めれば世の中であなたが怒りをぶつけるべきものは全く存在しない。怒りをぶつける時、あなたは怒りの夢を見ている。あなたはあなたの妄想の中にいる。ただ坦々と検証・修正・改善を重ねて行けば良い。だがあまりに進展がないとイライラするのは仕方がない事だ。人間は目紛しく変化する生き物だから、自分の性質にそぐわないと感じたものは、受け入れるのに抵抗心が湧きやすい。

だがあなたは全てと繋がっている。こんな時は自分の全体性、宇宙との一体感に注意を向け、今この瞬間を意識するよう心掛けると良いだろう。心が宇宙規模であればどんな性質にも適応出来る。そして全ては自分が決断したのだという事を思い出そう。その時あなたは真に原因として行動をする事が出来る。その時結果の為の行動から原因からの行動へと質が変化する。つまり受動的態度から能動的態度へと変化する。

結果の為に行動している限りは結果に苦しむ事になる。自分以外のものに価値を置き、それを自分とは引き離して考えている限り、あなたの心が満たされる事はない。一方原因からの行動をとれば喜んで結果を受け入れる事が出来る。全てを自分のものとし、自分と繋げて考えているから、どんな結果であれあなたの心はいつも満たされている。結果の為の行動=受動的態度の行動はあなたをあなた以外のものにするが、原因からの行動=能動的態度の行動はあなたをあなたの理想に導く。

どんな行動にも見返りは無い。見返りはあなたの態度次第だ。あなたの求めるものは行動ではなく態度で手に入れる事が出来る。あなたは誰からも強制されないし、あなたの決断はあなただけのものだ。結果が幸福をもたらすのではなく、あなたが幸福を受け入れる態度でいればどんな行動をとろうが幸福になるのだ。どんな状況にも怒りを覚える必要はないし、攻撃する必要もない。ただ改善すればそれで良い。

行動しても望む結果を得られず怒ってしまった時は、自分の中に求めているものがある事を思い出しなさい。結果が何かをもたらすのではない。あなたがあなた自身に理想のあなたをもたらす為、あなた自身を変化させる。これが行動の真実だ。行動とは態度の変化から派生したエネルギーの表れ方の一つなのである。あなたがあなた自身を変化させる為に行動しているという事を思い出しなさい。

カテゴリー:心と魂の奥からの声 | 執筆: ガスパーチョ
23:59に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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