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2006年04月03日

人付き合いの効能

神様、私は人間関係が苦手です。しかし、人として人生を歩むにあたっては、人付き合いの経験は非常に重要なものと思われます。私の人生についても、この領域の経験が不足しているように感じられます。この領域の経験を積むか、あるいは思い出すかしなければ、今後の創作活動に支障を来すのではないかと考えますが、いかがでしょう?

良い洞察だ。あなたは自身をより向上させたいと願っている。その為には人間として生きる以上、人間というものを理解している事が重要だ。人間を知らなければ、人間を助ける事も守る事も共に歩む事も難しい。勿論共感を得る事も難しい。人間の喜怒哀楽の全てを総合的に理解していなければ、良い芸術は作れないだろう。勿論人間だけでも駄目なのだが。

私は私なりに人間として苦悩を味わう事もありました。ですが、今の私ではまだ人間関係の一部を味わったに過ぎません。今までの私は他人から疎外される事の多い人生を歩んで来た事もあって、積極的に人と付き合う事はあまりしませんでした。それでどれだけの人生経験を損失した事でしょう。こんな私がこれから積極的に人付き合いをするにはどうすれば良いでしょうか?

先に言っておくが、あなたは人間関係の全てをこの人生で獲得する事は出来ないよ。勿論、あなた以外の誰でもそうだ。あなたは過去の人生や経験を思い出すだけで良いのだよ。この人生での経験も貴重で重要な事には違いないが、経験は、経験という意味だけでなく、知識への鍵という意味も持っている。過去の人生や人間の集合意識、アカシック・レコードなどにアクセスする為の鍵にもなるのだよ。だから必ずしも大変な経験をする必要はない。

あなたがする必要のある行動は、何もない。あなたがすれば良いと思う事をすれば、それで良い。いきなり積極的になるのは無茶だろう。ならば少しずつで良い。人に接する時の自分の心の動きを知り、少しずつでも心を開けば良い。無理にあれをしなければ、これを言わなければと思って焦っても逆効果だ。あくまで自然体でいなさい。

では今のままでも問題はないと?

勿論だよ。あなたはすっかり一人でいる事に慣れ切っている。でも人への興味も愛情も沢山持っている。その性質を発揮しようという心意気は素晴らしい。だがいまいち他人への興味を示し難いようだね。さんざん虐められ続けていたのだから仕方がないが、やはりもう少し相手の事を覚えるようにしないとね。

そうなんです。人というのは自分という個性をしっかりと認識し、尊重してもらいたいという意識が非常に強いんですよね。私でさえ多少はそういう心を持ち合わせています。これは何でしょうね。

あなた方は他人の認証があってはじめて自分の価値というものが認められると考えている。他人が認めて自分があるという認識は間違いではないが、価値を決めるのはあなた自身だ。他人が認めないと自分の価値がないという幻想を抱いているのだよ。他人が自分を認めたら嬉しいという感情が、自分の価値は他人が決めるという幻想の元となっている。だがそれは、他人との共感が保てた事の嬉しさなのだ。そこには人間の価値というものは関係しない。共感したかしないか、それだけだ。そこを誤解するから、他人が自分を認めなかったり、名前を間違うと、怒ったり悲しんだりする。

なるほど、精神世界では世界は一体化を求めて人々は進化しているというような事を言いますが、これはその進化を逆行しているのではなく、誤解による反応なのですね。

その通り。もっとも、さらに様々な誤解や思考の混乱が入り交じっているんだけどね。簡単に言うとそういう事だよ。

わかりました。ところで、私は他人の名前を覚えるのがとても苦手なんですが、何か良い方法はありますか?

相手との関わりが、自分の人生や生活の中でいかに重要な存在であるかをよく考える事だね。重要なものならば絶対に覚えずにはいられない。あなたは人付き合いの優先順位が低い。わりと煩わしいと思っているだろう。だからこそあなたは楽しむ事が重要なのだよ。もっと友達と遊びなさい。人付き合いの楽しみを味わって、人付き合いそのものの優先順位を上げなさい。自分からどんどん誘える友達を誘って遊びなさい。これだけでかなり人付き合いに変化が出るだろうね。

そうですか。以前の提言はここに繋がってましたか。前からよく特定の友達に何か(習い事や遊び)に誘われる事はありましたが、あれもこの一環なのですね?

その通り。あなたの意識には、まだ遊びとは怠惰を意味する罪悪の一種であるという思い込みがわずかにこびりついている。遊ぶ事も修行の内だよ。

わかりました。遊びの中から人付き合いの重要性を探って行きたいと思います。

真の友情も、たわいない遊びの中から生まれる事がある。人は遊びの中で育ち、遊びの中で学び、遊びの中で生きる。生きるとは、魂の遊びでもあるのだ。神々の遊びだ。喜怒哀楽、全ての詰まった最高のゲーム、それが人生。辛い事もゲームの一環だと思えばまた楽しい。全く苦難のないRPGをやりたいと思うかね?あるいは苦難ばっかりで報われないゲームをしたいと思うかね?あらゆるものが詰まっているのが人生だ。ありとあらゆる事をもっと楽しみなさい。

わかりました。でも、ただゲームをするだけというのもどうでしょう。決まったレールの上を歩くのでしょう?

良い所に気付いた。人生は他人が作った映画ではない。あなたが作るものだ。だから楽しい。あなたも絵を見るより描く方が楽しいと知っているから描くのだろう?音楽を演奏するし、ゲームソフトも何かを作るタイプのものを持っている。人生は順路を歩むものではない。創って行くものだ。あなたはそこの所を今、理解しつつある。言葉では理解しているが、まだ身に染みるほどではない。人付き合いは、言わばジャムセッションだ。これも立派な一つの創造だ。人と遊ぶ事はセッションの能力を高める効果がある。だから私はあなたに人と遊ぶ事を勧めている。

なるほど、そういう事だったんですね。よくわかりました。ありがとうございます。

カテゴリー:神様と語り合う | 執筆: ガスパーチョ
23:55に公開 | 記事の冒頭へ戻る | トラックバック (0)
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