2006年05月の記事一覧

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2006年05月31日

生活を性格に合わせる

神様、私はどうやら生活を糺す為に私の根本的な性格を改めようとしてもがいていたようです。性格を生活に合わせようとするのではなく、生活を性格に合わせて変えて行く事が重要なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

よくわかって来たようだね。その通り。悩んだ甲斐があったというものだ。あなたの場合、直そうとしていた性格はあなたの人生を歩む為には重要な要素となっていた。あなたはそれを単なる弱点としか見られていなかった為、直す事しか考えられなかったが、実はあなたの人生にとって強力な道具なのだという事に気付いた。ようやくあなたは宝に気がついたね。よかったよかった。

私は自分の性質にそぐわないライフスタイルを追求し、その結果何とも冴えない生活が続いていました。自分というものがよくわかっていない証拠ですね。

そんな事は問題ではない。誰もが自分を見失って誕生するのだから。いかに誠実に見つめるか、それが問題なのだよ。そうして試行錯誤する内に思い出す事、それが大事なのだよ。だからこそ私はあなたに答えを教えないのだ。ヒントとなる事は助言するが、答えは教えない。経験こそ最大の学習であり、最高の現象であり、人生の醍醐味だからだ。

だからこの対話では解説者的なポジションで話されるのですか。

その通り。あなたの人生はあなた自身が生きなければ意味がないからね。

話を戻しましょう。…って、私が言わなければ話は進まないようですね。

ああ、その通りだ。あなたが言えば話は変わる。この対話も勿論あなたがメインで進行しなければ意味がない。あなたの対話だから。

では話を戻しまして、私の性格から言えば、今までの生活は多趣味・多方向過ぎて私の集中力を分散させてしまっていました。また複数の事を同時に均等に行なう事が苦手なので、生活リズムの狂いや物事の進展の偏りなどが出て、ダメ人間的な生活になってしまっていたようです。だから、私の生活は極力多趣味・多方向ではない方向でまとめないと上手く行かないようです。そこで趣味や興味のあるものを絞り切ってしまうか、一つに纏めたりするなど、極力シンプルにする必要があると思います。

確かにあなたは多趣味だね。それ自体は別に悪くはない。あなたの言う通り、シンプルさも重要だ。性格は時によって変わるものだ。時が来れば多趣味・多方向でも難無くこなせる性格にもなれるだろう。あなたの選択は適切だ。性格に合わせて生活を変えなさい。

どのように生活を変えていけばいいでしょう?

あなたの思う通りに。様子を見ながら少しずつ変えても良いし、バッサリ今までの多くを切り捨てるのも構わない。あなたが決めなさい。そこはあなたの領域だ。私は解説者である事を忘れないように。あなたの「求める自由」を阻害する事はしないよ。同じように、あなたが私の言葉を聞きたい時には聞かせるが、あなたが望まなければ話し掛けない。だが、助けが欲しいなら勿論すぐにでも助けてあげるよ。

わかりました。これからも試行錯誤を繰り返し、自分の人生をしっかり自分で進めて行きます。

私がいつでも見守り助けているから、安心して自分の人生を体験しなさい。

ありがとうございます。

Posted by ガスパーチョ at 22:46 | Comments (0) | TrackBack

2006年05月30日

怒りに飲み込まれるな

世の中にはとても大きな沢山の矛盾がある。正義の心からそれを指摘するのは素晴らしい事だ。しかし批判・非難になってはいけない。相手はあなたであり、世界は巨大な演劇空間だ。世界は一つであり、あなたと世界は一体だ。批判・非難とは攻撃である。攻撃は相手の否定に過ぎない。自分と世界を切り離す思考に繋がり、ストレスが生じ、心に苦痛を呼び寄せる。

例え酷い政治や事件があっても、その事象に惑わされてはならない。そこで怒りに飲み込まれるのは苦しみの夢に自ら飛び込む事に過ぎない。それでは正確に事態を把握し、修正する事は難しくなる。さらには自分自身をも重いストレスの中に晒す事になり、心が乱れ、理性を保つ事が難しくなる。

例え事態が進まなくてさらに悪化しているように感じても、怒りに身を任せてはならない。怒りに心は煽られ、理性は深い霧に飲み込まれ、あなたは暗黒面に飲み込まれてしまうだろう。そうなればあなたは怒りをエネルギーにして、暴走を始める。その最悪の姿がヒトラーである。怒りは攻撃であり、破壊である。そこからは正義は生まれない。死が待つだけである。だから情報に飲み込まれない程度の距離感は確保しておきなさい。

Posted by ガスパーチョ at 23:58 | Comments (0) | TrackBack

2006年05月27日

乱れは罪ではなく、問いである

最近心と向き合う事さえ困難になって来ました。人生に向き合う事を恐れているのか、単なる怠け者になってしまったのか、よくわかりませんが、鬱々とした気分で乱れた生活になりがちです。

時には自我の幻想に浸るのも悪くないさ。中途半端に寝ぼけた目覚めより、ちょっと布団の中でまどろんで、爽やかに目覚める方が素敵だと思わないかい?まどろむ時はまどろんで良いんだよ。

でもすぐにでも目覚めて煩悩に振り回されないようになりたいです。

その焦りが邪魔をしているのだよ。この世では何事にも順序がある。目覚め切らない事を拒否しては、次には進めない。あなたは自分の心と向き合う方法を知り、こうして実践している。

しかし最近では様々な用事にかこつけて、あなたとの対話をしない日々が続きました。

何度も言っているが、私との対話は言葉だけではない。その他の全てを使ってあなたと接している。全ては私からのメッセージだという事を君は忘れ気味のようだね。どんな状態であれ、誠実に自分を生きる人には、私は支援を惜しまない。勿論そうでない人にも支援を惜しまないが、誠実に自分の人生を歩む人には私の支援が恙無く届くという事だ。対話の形態にこだわる必要はない。私がいる事を、全てが私である事を覚えていれば、それで良い。

わかりました。全ての瞬間・全ての行動、全てのシチュエーションが神との対話なのですね。そして私自身との対話でもある。

そうとも、詰まる所、私の出番は無いに等しい(笑)。

乱れた生活でもその生活を断罪するのではなく、神様からの問いかけとして見れば良い訳ですね。

そうだ。しっかり見つめれば、乱れは乱れではなくなる。私からの、そしてあなた自身からの問いかけとなる。点と全体、この対比を見ながらパズルのように解いて行きなさい。

わかりました。全ては神である事を思い出し、問いを解いて行こうと思います。有難うございました。

Posted by ガスパーチョ at 23:52 | Comments (0) | TrackBack

2006年05月16日

自由な心は今この瞬間から

最近思うのですが、私は生活の些細な事もまともに楽しめていないようです。どうも使命やら目的やらを意識し過ぎる傾向があります。

その通り。その思いが強く出過ぎ、重荷となって結局やる気が失せてしまっているだろう。あなたがしたい事が出来ないでいる理由はそこにある。今のあなたは本当の意味での自由を知らない。いや、知ってはいるが思い出せていない。これには前世から残っている思考の癖も影響している。だがあなたはそれに縛られているのではない。自らその癖を残す事を選んで生まれたのだ。本当の意味で自由な心を自分のものとする為に。

私がこの人生で達成しようとしている事は、真の自由を獲得する事なのですか?

そうだ。だからこそ、あなたは自由の抑圧に対して敏感に反応するのだ。権力の横暴や弾圧を警戒し、集団の力を恐れ、他人との距離を大きくとる、これらの傾向は自由を求める心から発している。あなたは集団に埋没する安心から抜け出す為に、様々な弾圧や迫害からいじめまで、体験・観察して来た。あなたが普通に生きる事を嫌い、絵を描いたりするのも自由を獲得する為の行動である。自分と対面する為である。

でもなかなか自分の人生を上手く楽しめていないように思います。何か、為になる事や知的な事を意識してしまい、単純に行動そのものや生活そのものを楽しめません。大分ましにはなりましたが、他人と付き合う事も未だに苦手ですし。

焦るな。心配せずとも順調だよ。ちょっとした瞬間に、ちょっとした勇気や冒険心を持つ事で、少しずつ世界は変化して行くのだよ。あなたは本当は行動力がある。その気になればどんどん進んで行く事が出来るだろう。あなたは命令に従う・強要される人生を多く生きて来た。それも真の意味での自由を、より深く味わう為だ。今回の人生は、自由を見つけるだけではなく、使いこなす為にある。だからこそ自由について悩み、苦労する。あなたは必ず自由の真の意味を知り、真の自由を勝ち取るだろう。その日は近い。だから少しずつ、着実に進みなさい。挫ける事はない。失敗しても落ち込む必要はない。その事について君はもう学んでいると思うが。

そのはずですが、うっかり落ち込んだり深刻になったりする事がまだあります。誠実にいようとして、逆に必死になり過ぎてしまっているのでしょうね。

そうとも、よくわかっているね。もっとリラックスしなさい。あなたは兵隊でも奴隷でもない。探検家に近いが、彼等のように命に危険がある訳ではない。そもそも命は永遠であるから心配する必要さえないのだが。初心になりなさい。生まれたての子供のようでありなさい。それが自由な心に至る秘訣だ。

そう思っているつもりですが、なぜかいつの間にか忘れてしまうんですよね。

忘れるのも印象を強めて意識させる為の魂の戦略だ。ちょっと位の苦労は我慢しなさい。それ相応の素晴らしい結果へと繋がるのだから。

苦労を苦労と思わず、その道程を楽しむ事が出来れば、苦労しないのですがねぇ…。

そこだよ、君の問題は。目標にとらわれ過ぎて、道をただの通路としか認識しない。それを「遠い所ばかりを見ている」と言うのだよ。道は瞬間移動出来ない。道の中間にも中継地点がある。その中間にもある。さらにその中間にも。それを見る事を忘れているよ。細かいイベントも意識しなさい。それが全体へと繋がって行く事を体験する楽しさは素晴らしいものだよ。目標に向かって一気に突撃する癖は、もうやめた方が良いだろう。植物を育てるように、小さな動きから大きな変化へと向かう事をしっかり味わいなさい。

それが出来ないから悩んでいるのです。

君もしつこいねぇ(笑)。まだ過去の意識に囚われているようだ。もう君は自分の問題に気付いている。後は少しずつ直すだけだ。一カ所を見て突進するのではなく、全体を見て道を見つけ、その道を楽しむ事だ。結果に喜びがあるのではない。その道程に喜びが発生するのだ。道程を楽しめなければ人生は薄っぺらになるよ。幾ら目標を達成したって空しいだけだ。あるのは今しかない。結果の成功・失敗よりも、今この瞬間が重要なんだよ。だからこそ、今ここにある道程を楽しまなくちゃ。今楽しまなくちゃ、いつ楽しむんだね?今平和にならねば、いつ平和になるんだね?今この瞬間、初心でいなさい。

なるほど、ようやく自分が未来に囚われていた事がわかりました。全てを決めるのは今ここであり、その中心にいる自分自身にしかそれは出来ないのですね。それこそが真の自由なんですね。何度忘れても、また得意のしつこさで思い出して今この瞬間に生きようと思います。ありがとうございます。

「初心忘るべからず」だよ。よく忘れるが、これは大事な事だ。何かあったらすぐ思い出すようにしなさい。まあ、焦らず程々に頑張りなさい。

Posted by ガスパーチョ at 23:37 | Comments (0) | TrackBack

2006年05月05日

死と自由意思

今回の内容は「周りの助けを借りよう」の続きです。

あなたは犯罪行為には神の法則が適用されない、例外だと思っているのかね?

「あなたを助けない存在はない」のならば、なぜ犯罪が起こってしまうのですか?相手の自由を奪い、今後何十年も生きられるはずの人生を無駄にさせてしまうのですよ。自分を助ける為に誰かが殺しに来るなんて、信じられませんよ。確かに事件の中にはその人の人生のイベントとして設定したものもあるかも知れませんが、全ての事件が全て必然なら、事件を防ごうとしたりする行動が空しくなりますよ。

運命として設定した通りにしかならないなら、人間の自由意思なんて、制限された中のものに過ぎないし、神が本当の自由を与えたなんて嘘だと言う事になりますよ。そこんとこ、どうなんですか?神様。

私が自由を制限する事はない。あなた方自ら制限する事はあっても、だ。また、運命として設定した通りにしかならないと言うのは間違いだ。あなた方は地球での転生で、確かに数多くの制限を自分達に課して来た。そして多くのイベントを設定して生まれて来ている。しかし、自由に予定とは異なる選択を行なう余地も沢山残されているのだよ。

但し、人生が大転換したり、死んでしまったりというような大きな所ではまず予定から外れない。多くの選択肢の内で、死ぬ選択もその範囲に含まれているならば、時には自由選択の結果死ぬ事もある。どういう状況で死ぬか、死んでも良いかは、あらかじめ決めてから生まれるのだよ。

つまりどんな殺され方をしても、それはその人の魂の想定範囲内だという事ですか?

そうだ。

突然見知らぬ通り魔に刺し殺されたりしても、ですか?

その通り。人間としての本人は全く納得出来ないだろうが、魂の根本部分では納得して同意しているよ。何しろこの世は仮の世界だ。本物の世界はあの世の方だからね。魂にしてみればこの世の生は演劇に過ぎない。人間の心でばかり考えると納得出来ないだろうね。だからこそ、事件に関わった人間達は真実や真理を探究するようになるんだが。自分の心と向き合わざるを得なくなる。その為に自らの命を差し出しているのだよ。

戦争や災害、事故で亡くなられる人々もそうですか?

そうだ。ただ一度しか過ごせない個人の一生を通して、人々は多くの事を体験し、魂を活性化させる。どんなに苦痛の体験でも、それがあなたの魂を殺す事は出来ない。むしろあなたの魂を活性化させる。勿論苦痛だけがそうなのではない。ありとあらゆる経験全てが魂を活性化させる。そうして魂は眠りから醒めて、命の真の姿を思い出していく。「死」も単に経験の一つだ。どんな形であってもね。但し影響は物凄く強い。

死の淵から救う行為は、死に関する経験であって、成功であろうと失敗であろうと魂の活性化には重要で、無駄な行為ではないという事ですか?

そう、救えても救えなくても全く無駄ではない。その時のあなたの態度、考え、行動、その全てがあなたや周りの存在にとって重要なのだ。勿論死に行く人や死なせた人にとっても、あなたの在り方が重要なのだ。助かるかどうかは魂には問題にならない。重要なのは、あなたの態度から何が見えて来るかだ。

人を殺すのも殺されるのも、魂にとっては他の経験と同じく無駄ではないという事ですか。

そうとも。他の経験と同じくそうなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。魂にとってはね。だが人間という生物にとってはまさしく死活問題だ。殺しは人間として味わえる自由をはく奪し、時間を奪う事だ。弾圧と同じく、自由や命や愛の大切さがよくわかるシチュエーションだ。存分に命を守り、助け、育てなさい。

戦争を煽ったり他国や異民族や異教徒を挑発したり蔑んだりする人々が最近目立つのは、やっぱり自由や命や愛の大切さがよくわかっていないからでしょうか?

個人差はあるが、そんな所だ。まあ、大抵の場合、よく考え、想像すれば、実際に戦争を起こしたり殺し合いをしたりする必要は全くないのだがね。戦争など政治に絡む問題の場合は権力者の欲や恐怖心の問題も大きいね。彼等の横暴にどこまで付き合うかはあなた次第だ。まあ、どんな経験であれ、誠実に懸命に体験すれば、結果がどうあれ素晴らしい経験となる。深刻になり過ぎず、気を抜き過ぎず、あなたの思う通りに生きればそれでよろしい。

わかりました。現象や事件よりも、そこでどんな自分でいるかが問題なのですね。どんな人としてあるか(在り方)が、行動やその結果よりも大事なんですね。

そう、結果は目安の一つに過ぎない。人生に打ち込みなさい。誠実に人生に向き合いなさい。それが出来れば生き方は合格だ。例え引き蘢ろうが、欲にまみれていようが、そこからいかに自分の人生と向き合って行くかが重要だ。さあ、生きなさい。あがきなさい。ダメで成功しない、冴えない一生でも結構。とにかく生きる事に誠実でいなさい。人生、生命、自分自身、あらゆる全てを問い続けなさい。殺そうが殺されようが、あなたが消滅する事はない。どんな人生でも良い。誠実にあなたの人生を生きなさい。

どんな苦難にもへこたれず、この人生に向き合う事にこそ意味があると理解し、人生をしっかり生きていこうと思います。ありがとうございました。

Posted by ガスパーチョ at 23:20 | Comments (0) | TrackBack

2006年05月02日

神の証明と、自分を楽しむ事

既に気付いていると思うが、私はあなたに答えを与える為にいるのではない。答えを出すのはあなただ。そしてあなたは答えを知っている。この世は私が私自身へ問いかけた質問である。全てである神が、万物、宇宙、ありとあらゆる全てである事を証明する為にこの世界を創造したのだ。

あなたは証明の為のプログラムの一部であり、答えそのものであり、神の質問でもある。全てであるが故に答えと質問が一つなのだ。故にあなたは質問する事で別の質問を発見し、答えを見つける事で別の答えをも見つけてしまう。問いかけも解決策も結局別のものを生み出し、終わる事がない。全てが全てである事の証明として、答えも質問も証明の役に立たないというパラドックスが生じる。

どんな変化も新たな別の変化を生み出す事になり、変化しない事でさえ他の変化の可能性を排除出来ない。変化する事は変化しない事でもある。そのような矛盾の中をあなたは生きている。今生きている状態も、その裏側から見れば、かくも儚く曖昧な、幻のような世界なのだ。究極の所、あなたは幻だ。そして私も幻だ。私は存在しないが故に存在する。私は無であるが故に全てである。私は矛盾であるが故に確固とした存在である。

あなた方一人一人は私の存在証明である。神からの問いかけである。同時に神からの答えでもある。故にあなた方はあらゆるものを生み出し、消し去る。あなた方の使命は、ありとあらゆる可能性を探る事だ。だからこそ色々な個性を持った人間がいる。あなたが何をしようと私は関知しない。既に知っているし、あなた方が可能性を試しているだけの事だから。

好きなように生きなさい。人類が絶滅しても構わない。そんな経験をしたいのならそうしなさい。また、あなたは何もする必要がない。だがそれでは存在する必要さえないとあなたは言うだろう。それでもあなたは何も必要としない。存在する事はおろか、存在しない事でさえ必要ではない。ここにも神のパラドックスが顔を出す。

ただ、あなたは人間として存在する。その生命体の中には様々なものがプログラムされている。それらを楽しみなさい。それが一番重要だ。何もする必要はないが、あなたは確かに何らかの明確な意思を持ってここに生まれて来た。その辺りのプログラムと相談して自分なりの人生を生きなさい。それがあなたの使命だ。いや、あなたの遊びだ。

あなたは世界のほんの一部のわずかな所に存在している。あなたは全てである私を分断・選別した仮の姿である。だからこそ、あなた自身があなたという個性を楽しみなさい。

Posted by ガスパーチョ at 23:53 | Comments (0) | TrackBack