2004年04月の記事一覧

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2004年04月11日

誰かの為に

誰かの為に活動なさい。人は自分には甘いもの。自分だけの為では限界があります。良い仕事をしたければ、その結果を愛する誰かに捧げなさい。親でも兄弟でも友達でもお客様でもペットでも、あるいはその全員に。命を繋げ、家族を影ながら助けて下さっている御先祖の皆様に。もっと良いのは自分を支えてくれている全ての命・存在に、空に、大地に、空気に、水に、光に、地球に、太陽に、宇宙に、人生に、運命に。そして出来れば、世界を産み出した神様に、世界を司って見えない所で動かして下さっている神々様・精霊様に、人類の精神的進化を司る仏様達にも捧げる事(他の宗教信者ならその神様の名前で良い)。そうすれば、何事も丁寧に心をこめて行えます。

真剣に心がこもれば、良いリラックス状態で自然と集中出来、素晴らしい仕事が出来ます。相手を思いやる心は、素晴らしい力を発揮させてくれるのです。本当の思いやりを持って行動すれば、たちまち奇跡が起こります。

Posted by ガスパーチョ at 23:39 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月10日

大変な時こそ

大変な時こそ気をしっかり持つのです。大変な時こそ心を落ち着けて、安らぎの中にいるよう心掛けなさい。嘘や怒りに反応してはいけません。世の中の混乱と不幸の原因は、多くはその状態から発生しているのだから。

こういう時は暗いニュースに目がいきがちですが、明るい事は何か必ずあるものです。不安だからといって、誰かに頼ろうとしてはいけません。不安な結果の予測ばかりしていては、人を操ろうとする者に騙されます。心を落ち着かせて、大事な事を見極めなさい。こういう時こそ感情の渦に巻き込まれずに、リラックスした最高の状態でいましょう。そして、自分のできる事やしていることをしっかりやりなさい。

Posted by ガスパーチョ at 18:33 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月06日

朝は余裕を持って

一日の始まりには、慌ただしい朝を迎えるべきではない。余裕を持って早めに目覚め、心と身体を整えて、ベストの状態にしよう。散歩をするのもよし、瞑想するのもよし。良い仕事をしたければ、朝に余裕を持たせよう。良い心で過ごすには、朝日をいっぱい浴びて太陽のような心になろう。健康でいたければ、朝に運動して身体の眠気を醒まし、身体一杯に綺麗な空気を吸おう。

朝からイライラでは、一日中何事もイライラで解釈しかねない。だから朝は余裕を持って、リラックスした良い状態を作り出そう。

Posted by ガスパーチョ at 23:59 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月05日

思い切って動いてみよう

結果を恐れても仕方がない。何度も言うように、結果は神の領域だ。人生の中で結果がわからないという事は、双六や「人生ゲーム」に似ている。人生をもう少しゲーム感覚で楽しむ気持があっても良いのではないかな?あるいはギャンブルのように。

思い切って動いてみよう。大丈夫、多少の失敗は取り戻せるようになっている。遠回りしても良いじゃないか。神様の計らいで意外なプレゼントが待っている事もある。余程おかしな事をしない限り、寿命まで死ぬ事はないはずだ。

さあ、貴方が進むべきだと感じる道を、自らの足で進んで行きなさい。

Posted by ガスパーチョ at 14:13 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月04日

思い込みには御用心

先入観には気をつけろ。「あいつはこういう奴だった。今度もそうだ、間違いない」などと思い込んではいけない。人は、常に変化する存在だ。貴方の知らないうちに成長していたりするものだ。世の中の全てはどれも変化するものだ。先入観や思い込みは、そういうものへの対応を鈍らせ、時には誤らせる。

確かにほとんど結果が変化しないものもある。全く同じではないかと思える結果もある。しかし厳密に見れば、全く同じ結果など存在しない。人が全く同じ事をしていたとしても、全く違う考え方で同じ事を行なっている可能性もある。その場合、先入観や思い込みによる予測は当たっても、その行動の意味が全く変わっている事には気づけない。

以前も述べたが結果は貴方が決めるものではない。神の領域なのだ。結果を完全に想像出来る、予測出来ると考える事は、単なる思い上がりである。予測はしても、その結果が絶対だとは考えてはならない。予測はしても、先入観で思い込んではならない。痛い目にあうのは貴方だ。

Posted by ガスパーチョ at 09:23 | Comments (0) | TrackBack

好きで傷つける人間はいない

貴方がどんなに嫌な事が多く辛い人生を過ごして来たとしても、これからもそうとは限らない。むしろ世の中には悪い事の方が少ない。嫌な事をする人も、嫌な事をしようとしてしているのではない。

よく観察してみよう。嫌な事でも本当は素晴らしい事かも知れない。適切かどうかはともかく、むしろ愛情表現である場合さえある。心配しなくて良い。怖がらなくて良い。嫌がらなくて良い。世の中は、貴方が思うより悪くないものだ。

嫌な事をする人間だって、本当は嫌がられる事はしたくないのだ。貴方が嫌な気持になるのは、彼らの不器用さや無知、ミスなどがそうさせるのであって、それは彼らが意図するものではない場合がほとんどだ。だから広い心で受け止めてあげよう。

貴方がどんなに今まで嫌な事を体験して来たか、どんなに騙されて来たか、どんなに馬鹿にされて来たか、それで辛い気持を持つのは仕方のない事だ。でも、これからも辛い嫌な人生が死ぬまでずっと続くと断定出来る理由はないはずだ。

人生の経験上、また嫌な事があるのではと疑ってしまいがちだが、ここで頭をリセットしてみよう。確かに嫌な奴はいて、犯罪も増加傾向にある。しかし、それはほんの一部の人間がする事。珍しいからこそこんなに騒がれるのだ。大部分の人間は、貴方と同じく暖かい心を持った人間である。ほとんどの人間は、知人との関係を崩したくないと考えている。誰も貴方を怒らせようとして近付く者はいない。

自分の性格に無頓着な人間や後先考えない人間、苦しいので助けて欲しい人間が、貴方に迷惑をかける事があるが、その彼らでさえ、別に貴方を困らせたくて困らせているのではない。彼らは不器用なだけなのだ。彼らも生きるのに一所懸命なのだ。暖かい目で見てあげよう。好きで馬鹿をやっているのではない。

貴方は怖がらなくて良い。嫌がらなくて良い。世の中の多くの人が、貴方と同じく困ったり苦しんだりしている。貴方と同じく愛を欲している。貴方と同じく愛を与えたがっている。他の人々が器用に生きているように見えても、貴方の見ていない部分では不器用に苦労していたりするものだ。だから負い目を感じる必要はない。

世の中の大部分は暖かい愛がある。誰も好きで傷つけている訳ではない。それだけは忘れないでおいて下さい。

Posted by ガスパーチョ at 08:54 | Comments (2) | TrackBack

2004年04月03日

嫌な事

他人から嫌な事を言われたり、して欲しくない事をされても、気にしなくて良い。貴方がどう思おうが、それらは外から来た情報に過ぎない。貴方にとって重要な情報かどうか、それだけが問題だ。

どんなに嫌な言い方・態度・タイミングだったとしても、親心から来る助言であったり、親友としての率直な提言だったり、応援してやりたい上司の激励だったりする事が多々ある。そんな場合はたとえ自分でわかり切った情報でも、その暖かい心の方を受け取って、心遣いを感謝しておけばよい。貴方を攻撃しようとして辛い事を勧める人はほとんどいないのだという事を忘れないで。

勿論、明らかに自分の身に危険があったり、明らかに他人事で適当に言い放った心無い一言とわかったなら、遠慮なく怒れば良い。

Posted by ガスパーチョ at 23:59 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月02日

心や身体の声を聞こう

現代人は欲望からの声を聞くのは上手になったが、心や身体の声を聞く事は苦手になったようだ。もっと心や身体の声を聞いてあげよう。ずっと昔から貴方に声を聞いてもらいたがっている。耳を傾けてあげよう。

欲望の声と身体の声は、同じもののように考えてしまうが、実は違う。欲望は本能から現われるもので、小脳から発生している。身体の声とは、身体の細胞自身から届けられる状態の報告の事だ。心の声とは、体全体から沸き上がるかのような、喜びや安らぎへの欲求である。簡単にいえば、愛である。愛と言っても、恋愛のような激しいものではなくて、親子愛・兄弟愛など、ごく自然に沸き上がる、さりげない暖かな気持の事である。

「欲望の声を聞く」とは、その欲望の達成を潤滑にする為に、欲望の思考の順番を優先させるという事である。また「身体の声を聞く」とは、身体の状態へ意識を向ける・労ってやるという事である。「心の声を聞く」とは、素直になり、暖かな気持が出やすいように、心を開く事である。

現代社会は資本主義で動いている為、欲望の声を聞く事が推奨され、TVやチラシなどでも「お買得」「今すぐ」「今がチャンス」などの、欲望を優先させる為の文字や言葉が踊っている。その為欲望の声を聞く為の能力は未だかつてなく発達している。しかしその分、身体や心の声を聞く能力を発達させる機会が削られて、欲望に踊らされる傾向にある。その結果、買い物依存症などの症状が現実に発生している。

心を静かにして、身体に意識を向ける機会をもう少し持ってみてはいかがだろうか?

欲深い心がおさまらないとか、依存症になりがちな人は、身体に意識を向けてみよう。目を閉じて、自分の心が身体の各部分を家庭訪問する為に身体の内部を進んで行く様子を想像してみよう。足の小指さん今日は。肝臓さんいつも有り難う。こんな風に身体に感謝をしてみよう。身体が暖かくなり、ビリビリとした感覚が出て来ないだろうか?それは身体が喜んでいる証拠だ。すると気分も落ち着き、身体も元気になり、実に気持が良い。

いつも寂しい人や、毎日が何となくしんどい人は、心を労ってあげよう。現代人は心が脳内にあると考えがちだが、心臓にある。心臓の辺りに意識を向けてみよう。何となくその辺りが冷たく感じる場合は、心が疲れていたり怖がっていたりする。ハートマークでも子供の頃の自分でも、何でも良いから心がそこにいる事を想像してみよう。そして心をマフラーや焚き火で暖めてあげよう。心配しなくても大丈夫、自分がついてるから安心しなよ。そんな感じで抱きしめてあげよう。心が落ち着き、安らかな気分になる。不安も弱くなるだろう。

心も身体も、まあ普通かなという人は、心や身体と友達になろう。今述べたような方法をアレンジして、イメージの世界で心や身体に声をかけ、仲良くしよう。旧友のように気軽に声をかけ、近況を聞いてみよう。何か一仕事あって疲れた時は、仕事のパートナーとして、「御苦労さん!君たちのおかげで上手くいったよ。有り難う!」などと労ってあげよう。きっと回復がいつもよりは早まるだろう。

Posted by ガスパーチョ at 12:15 | Comments (0) | TrackBack

2004年04月01日

世界は幻

我々が見たり聞いたり感じたりする世界は、実は本物ではない。生命体として直接感じているという視点では本物なのだが、全てを感じている訳ではない。全てを感じていないから、とりあえず感じられる部分だけで解釈しているに過ぎない。我々は世界を感じられず、世界とは違うものを感じている事になる。そういう意味では、我々の感じているものは、単なる幻だ。

我々が見ている世界というものは、長い進化の過程で種族の中で同意された共通の視点の部分でしかない。例えば、ある白一色の花を赤外線カメラか何かで撮影すると、今までなかったはずの模様が浮かび上がるという映像を、私はテレビ番組で見た事がある。我々には見えないが、昆虫には見える世界がそこにはある。昆虫には必要な情報だったが、我々人類には必要無い情報だったのだろう。

我々人類には可視光線以外が見えない。いやむしろ、我々は可視光線しか見ない事にしている。そうでなければ、種族内で連帯を保つ為の情報共有が出来ないからだ。そういう意味では、視点や感覚も、人類の共通認識・共通言語という事になる。その共通部分から外れるものを見る事ができるから、霊能者や精神異常者などというカテゴリーに分類されてしまう人間が出てくるのである。もしかしたら、彼らの見ているものが本当だったりするかも知れないという事だ。

同じように、聞こえる音も種族によってかなり異なる。匂いもそうだ。皮膚感覚さえ違う。これらも種族の共通言語として合意されたものだけを我々は感じているのだ。我々が見ているものは、実体ではなく、我々の頭脳が解釈した「言葉」を見ているに過ぎない。

その事を端的に表わしているのが、催眠術ショーである。この催眠術にかかれば、辛いものも甘くなり、弱かった力が強くなり、現実にないものさえ存在する事になる。催眠術で熱いものを触ったと思ったら、実際にそこにやけどの症状が現われたりもする。我々は無意識のうちに、情報を選んでいるのだ。全ては頭が創っている世界と考えても間違いではないという事だ。だから映画『MATRIX』も、あながち嘘でもないのかも知れない。

そんな選ばれ限定された情報を元に、宇宙人や幽霊が実在するだのしないだのと論じているのである。何とも滑稽な事だ。結論の断定と思考停止は紙一重。充分注意が必要だ。

Posted by ガスパーチョ at 02:34 | Comments (0) | TrackBack